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オリーブの子育て日記

オリーブの子育て日記

旦那さんと出会う

最初のトルコ旅行から月日は流れ・・日本へ戻ってからも あのイスタンブルの喧騒が おいしい果物達が、流れる車窓の向こうに広がる牧歌的な風景が ボスフォラスの海が 私をトルコへ誘います。

トルコと聞いただけで 全身の血がザワザワと音を立てて沸き立つようです。

海外の国で こんなに愛してしまったのは カナダ以来の事。

再び訪れる事ができたらいいなぁ と思っていました。

そんな時、私を親代わりに育ててくれた 祖母が死去。

悲しみのあまり 休日といえども 外出もせず 職場と家を往復するだけの毎日を過ごしていました。

こんなことじゃいけない!
早く 立ち直って 元気にならなくっちゃ、仕事にも支障を来たす・・。

ある日、思い立って ずっと行ってみたかった 家から10キロくらいの距離にある 寺院に 歩いて行ってみることにしました。

2時間かけて その寺院にたどり着き、ボォ~っと 夕焼けを見ていました。
その帰り道、寺院からもどる参道で、旦那さんに出会いました。

旦那さんに出合った と 言うよりは ナザールボンジュに出合ったというべきでしょうか。

懐かしいトルコの 街で良く見かけた あの青い目玉が 並んでいるのです。
そこにいたのが 今の旦那さんです。

その時は 覚えたてのトルコ語で 挨拶をして、トルコに旅行へ行った話しをして・・・。

良く覚えていないのですが、まだ日本に来て数日 というその青年の 清々しい若者らしい言動を 好ましく思った程度で、まさかその後、この青年と結婚するだなんて思ってもいませんでした。

数日後、一緒にトルコを旅した両親を伴って 再びその寺院を訪れました。

その青年と トルコの話しをして お茶に誘われました。

両親と青年は、英語で話しをしていました。 日本語の辞書を片手に ひらがなを勉強していた青年は、少しでも 日本語を勉強して 一日も早く日本語を話せるようになりたいんだ と 熱く語っていたのを覚えています。

両親と一緒にお茶をした その夜に 電話番号を聞かれました。
両親の前だったので、ちょっとびっくりしましたが、父が 「いいじゃないか、日本語の訓練になるだろうし、教えてあげなさい」と言ってくれたので
携帯の番号を交換しました。

それから数日後、彼から 拙い日本語で電話があり、最初は日本語を教えてあげる為だったのですが、いつの間にか その青年の事が気になってしかたなくなってしまったのです。

ある日、いつものように 最寄の駅で待ち合わせをして 出向くと
ちょっと早めに到着していた青年が 大きな 花束を抱えているではないですか。
「うわぁ~ 映画みたい!!」その時からお付き合いが始まりました。

お付き合いしていくうち 当然の様に 結婚の話が出てきました。
実は 私 その青年と出会う 一年ほど前に 結婚まで考えていた男性と酷い別れ方をしていて、結婚は 全然考えられない状態でした。

でも、彼が おばあちゃんをなくしたばかりで、落ち込んでいたおじいちゃんを 気遣って 度々一緒に訪問したり 暗くなりがちなおじいちゃんを
外に連れ出したりしてくれた事、亡くなったおばあちゃんのお墓参りに率先して行ってくれた事、私の家族を 私以上に大切にしてくれる事など。。

数えだしたらキリがないのですが、お付き合いしていくうちに 私の中で氷山の様に大きくなっていた不安が だんだん溶けてきたようで、

「 この人とだったら、私は幸せになれそう・・」と思えるようになったのです。

つづく


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